1. 不思議の国から半年後
ガイ・フォークスの日
鏡の国のアリス Chap.Ⅰ
『鏡の国のアリス』は、チェスになぞらえて展開し、『不思議の国』よりやや難解です。物語の始まりは、冬。アリスが “we'll go and see the bonfire to-morrow.”(明日はかがり火を見に行きましょう)と言っているので、ガイ・フォークスの日の前日です。
Guy Fawkes Day は、11月5日、爆破事件を起こしたガイ・フォークスにちなんだイギリスの記念日で、かがり火(bonfire)を焚いたり、打ち上げ花火が上がったりします。
『不思議の国』の冒頭は、5月4日の午後の屋外、『鏡の国』は11月4日の家の中。『不思議の国』でちょうど7歳だったアリスは、『鏡の国』では「7歳半」だと第5章で分かります。
I was watching the boys getting in sticks for the bonfire ― and it wants plenty of sticks, Kitty !
男の子たちがかがり火用の薪を集めるのを見てたの。たくさん薪が要るのよ、キティ
アリスが Kitty(キティ)と呼んでいるのは、飼い猫 Dinah(ダイナ)の子供です。やんちゃな黒猫はキティ、白猫は Snowdrop(スノードロップ)。
スノードロップというのは、キャロルの小さな友達 Mary Macdonald(メアリー・マクドナルド)の飼い猫の名前。メアリーは、作家 George Macdonald(ジョージ・マクドナルド)の娘さんで、ジョージ・マクドナルドは、キャロルの良き友人として知られています。
鏡の中はどんな国?
アリスはキティをチェスの赤のクイーンに見立てて、ごっこ遊びを始め、さらに鏡の中の世界はどんなだろうと想像を膨らませます。
How would you like to live in Looking-glass House, Kitty? I wonder if they'd give you milk in there? Perhaps Looking-glass milk isn't good to drink.
鏡の中の家で暮らすのはどう、キティ? そこではミルクをもらえるかしら。多分、鏡に映ったミルクは美味しくないわね
How would you like to-不定詞~? は、「~するのはどうですか」という提案や勧誘をする際の定番表現。
「鏡に映ったミルクは美味しくない」とアリスはさらっと言っていて、当時キャロルも深くは考えていなかったでしょう。ところが、『鏡の国』が出版されてから数年後、立体化学で、有機物質は左右非対称の分子配列を持つと証明されました。
食べ物の分子配列が変われば、味や匂いも変わってきます。つまり、化学的に見ても、鏡の中で分子構造が反転したミルクが美味しくないのは、ほぼ確実になったわけです。
また、鏡の中のミルクは反転することで反物質になる。反物質と接触したら互いに爆発するので、アリスは飲むことさえできない、と唱える物理学者もいます。
反転世界へ
そんな風に反転世界を思い描いていると、やがて鏡が銀の靄のようになり、中を通り抜けられるようになりました。アリスは、鏡を通り、向こう側の部屋へ。そこは反転しているだけでなく、物が生きている奇妙な世界です。
and the very clock on the chimney-piece (you know you can only see the back of it in the Looking-glass) had got the face of a little old man, and grinned at her.
(そしてマントルピースの上の時計(鏡の中では、背面しか見えません)には小さな老人の顔があり、アリスににやりと笑いかけました)
テニエルは時計の他、花瓶の裏側にも顔を描いてます。自身の monogram(モノグラム、イニシャルなどの組み合わせ文字)も反転させるという凝りよう。
一方、『Dalziel』というサインは反転していません(スミマセン、見切れてる)。Dalziel brothers(ダルジール兄弟)はテニエルの挿絵を彫った木版画家で、『アリス』のほぼすべての挿絵にサインが入ってます。
動き回るチェスの駒
こちらの世界では、チェスの駒たち(chessmen)がじっとせずに動いています。ただ、King(キング)、Queen(クイーン)、Castle(ルーク)、Pawn(ポーン)、Knight(ナイト)の描写はあるのに、Bishop(ビショップ)についてはありません。
テニエルの挿絵にはビショップらしき駒が描かれているものの、文の中で言及はなし。キャロルは、僧侶に気を遣ったのかもしれません。
文字の反転
テーブルにあった本も、文字が反転しています。詩のタイトル、jabberwocky(ジャバウォッキー)はキャロルの造語で、「訳の分からない言葉」という意味が辞書にも載ってます。
Jabberwocky の詩の第一節のみ、反転文字が記載されてますが、最初キャロルは、詩をまるごと反転印刷するつもりだったとか。
Why, it's a Looking-glass book, of course ! And, if I hold it up to a glass, the words will all go the right way again.
そうね、鏡の中の本だもの。手に持って鏡に映せば、文字はまた正しい向きになるわ
文字が左右逆に見えるということは、鏡を通ったアリス自身は反転していないことになります。すなわち、先に挙げた化学的な観点から、反転していないアリスは鏡の国では存在しないのでは、という疑いが出てきます。